ある閉ざされた雪の山荘で(東野圭吾)
初心者にも易しい「クローズド・サークル」
以前の記事で「かまいたちの夜」を話題にしましたが、
あれからクローズド・サークルにハマり小説を探していたところ、
こちらの本に出会いました。
想像以上に読みやすく、21時くらいに読み始め
その間にヘタリア7期発表や
天野先生の最新作更新を確認しつつの3時前読了なので、
読む速さに自信の無い私でも5時間程度で読めちゃうミステリー小説です。
こちらの作品はクローズド・サークルと言っても
なんちゃってクローズド・サークルです。
内容を説明しますと、
演出家よりペンションに呼び出された7人の舞台役者が
実際は晴天で外部とも連絡が取れる山荘を
記録的な大雪で外へ出られず
外部とも連絡を取れないていで4日間を過ごす話です。
疑問符が浮かびそうな説明になってしまったので補足すると、
演出家がどうやら変わった人で
今後起きる出来事に対し
役者には実際起こったように対処してもらい、
そのときの実際の行動や発言なんかを舞台の脚本や演出に反映させたい
という演出家の魂胆らしいです。
そんな中で、2日目朝に死体が発見されますが、
実際に死体はなく
死体状況の説明等が記載された紙が床に置いてあるだけなので、
彼らは芝居だと思い込み、呑気に推理を進めます。
(被害者の姿は消えている状態です)
で、3日目の事件で本物の血のついた凶器が発見されることで事態が一変します。
これは演出家が仕掛けた芝居なのか、
それとも演出家を利用した殺人なのか、
それらを考慮して推理していくことが
このお話の醍醐味となります。
こちらの小説の文章構成は
①客観視点 ②久我視点 が交互に入って混ざる形となっており、
前回の小説記事、麻耶先生のおかげですっかり視点を疑う癖が出てしまったのですが、
今回は自然的で読みやすく、感動さえ覚えました。
ただこの小説も叙述トリックが仕掛けられているため、
叙述好きには是非読んでもらいたいなと思っています。
また、クローズド・サークル特有の
「分からない犯人にいつ殺されるか分からない恐怖」というよりは
「本当に殺されたのか、それとも被害者は別の場所で生きているのか」
に焦点が置かれているため
希望要素が高く、緊迫した感じのものが苦手な人でも読める作風です。
ここから先はネタバレ
館の見取り図はクローズド・サークルのテンプレートなんでしょうか。
今回の私もこの見取り図には注視していまして、
田所のちょこまかとした動きを追っていたときに
ふと笠原・元村部屋と遊戯室の間の隙間はなんだろうと気になっていました。
で、「廊下かな」と軽く流したのがいけなかった。
何気に卓球台は終始気に留めていたばかりに、
隙間と繋がるとは思い当たらず、悔しいです。
まさか麻倉が隙間へ隠れるために卓球台を外に出していたとは、
「卓球台が何故そんな場所に置いてあるのか」と置いた先に気を取られてしまって
「卓球台は元々どこに置いていたのか」の置く元に目を向けられなかったのが、
自分もまだまだだなと思います。
見取り図は事件解決への第一歩
これが今回学んだ私からのアドバイスです。
叙述トリック
文章構成の2視点は
①客観視点(第三者である犯人サイド)
②久我視点(探偵サイド)
という真相でした。
ただ今回は
計画犯:麻倉(①客観視点)
実行犯:本多
本多が動けなかった夜の実行犯:雨宮
計画を知っている被害者:笠原、元村、雨宮
という構造なので、計画犯(麻倉)に負担がかからない形となっており
なんなら犯行動機の告白くらいしか麻倉の役目はなく、
麻倉視点は読者をかく乱する視点ではありませんでした。
さらにこの一連の事件は「麻倉へ見せるための本多・雨宮・笠原・元村による芝居」
なので、麻倉は犯人サイドと言っても終盤まで純粋な客観視点だったとも言えます。
①の客観視点に自我を読み取れた瞬間はゾワッとしましたが、
序盤の語りを引っ繰り返すような意地悪なことはしてきていないので
麻倉は読者にとって優しい人だと個人的に思います。
(※小説「螢」ですっかりトラウマに)
②の久我は終始探偵役で
なんなら犯人サイドを阻害する(本多を足止めした)ファインプレーも起こしており、
少し自信過剰かなと覚える性格も
演技や思考、推理の実力がマイナス要素を上回るので好感を持てます。
あと会話での台詞は「僕」で敬語なのに
心の声が「俺」と変更されて砕けているのが、かなり私のツボを抉ってきました。
本編最後の一文「ぐしょぐしょに濡れたハンカチを差し出しやがった」は最高of最高です。
クスッと笑えるオチを出してくるなんて、粋な探偵役ですね。
(ハンカチを出した中西もグッジョブ)
また何処で会いたいと思える探偵役でした。
三重構造
先程も記述しましたが、
結局は計画犯の麻倉を騙すという形で
演出家による芝居に見せかけた、
殺人事件の計画者である麻倉、
を騙すための本多達の芝居、
という3重構造と
複雑な恋愛模様(?)が描かれていたわけですけど、
死人を出さず、伏線は回収され、不穏要素を一切残さない締め方は清々しいです。
物語上の不穏要素、
例えば元村が夢を語ったときの翳りなんかも
実際は麻倉への償いを考えていたからこその弊害であって、
本編中に発生している不穏要素というのは大体麻倉関連だと思うので、
麻倉との問題が解決された時点でそこも一気に解消され、
「温けえ話だった」で終わるはずです。
私が把握している限りでは、謎も後味の悪さも残らない終わり方です。
麻倉や本多、雨宮達に感情移入をすると割り切れない部分もあるかもしれませんが、
劇団が全く異なる部外者の久我に寄り添って読んでいたので
私は最後まで明るく楽しんで読めました。
0 件のコメント:
コメントを投稿