ただいま!!
芹澤の薄い本(そのままの意味)が
映画の入場者特典に付くという話だったので
「すずめの戸締まり」2回目、
行ってきちゃいました!!
ちょうど直近で1年間の集大成、
例の会社の一大イベントが終わったところだったので
自分へのご褒美としていざ映画館へ。
入場者特典の小説を受け取ったあと
映画館で本編が上映されるまで
ずっと小説を読んでいました(笑)
なので他の映画の予告やらは一切観ていません。
照明が完全に落とされるまで粘りましたよ私。
それでも全部読み終わらなかったので、
そこそこボリュームはありますかね。
あとがきまで含めたら25ページほどです。
読んでいて意外に感じたのは、
「新型コロナウィルス」が
存在していたことです。
まあ、実際の3.11を取り上げたということは
そのままの時間軸で
コロナがあってもおかしくないですが、
映画映像内では誰もマスクしてなかったからなあ…
もう既に日常生活に戻っているってことでしょうか。
草太と鈴芽の映画では地震、
芹澤の小説では新型コロナウィルスに
翻弄されるという構図。
芹澤は草太たちとは立場が異なり、
あとがきにも書かれてあった通り
こちら側(観客側)のキャラクターなんですよね。
それに加えてあの愛嬌。さすが長男。
人気なのは当然なんですよ!!(確信)
おかえり!!
同じ映画を観ることはめったにないんですけど、
(これと「黒執事」くらいしか無かったと思います)
2回目になると冷静に観られて良かったです。
冷静なのに何故か2回目の方が
目が潤んで泣きそうになったという。
映画2回目で気付いたんですけど、
「後ろ戸が開いた理由」について
個人的にずっと謎だったんですが
ラスト(駅のホームで鈴芽が草太を見送るシーン)で
普通に草太が言ってましたね(笑)
前回映画へ行ったときは脳が疲弊していたので
聞いてなくても仕方ない(白目)
「その土地の人の想いが薄れていくと扉が開いてしまう(うろおぼえ)」
…みたいな理由ということで、
ダイジン・サダイジンは産土を鎮めるための
ナビゲート・サポートキャラっぽいですね。
鈴芽のミスリードの仕方がエグいと思います…
草太が本編中に
「神様は気まぐれ(うろおぼえ)」
と言っていたので、思考停止しちゃっていました。
ダイジンが要石に戻ったのは
鈴芽のコになれなかったから。
ダイジンは鈴芽の家のコになりたいから
要石の役割は草太に渡すと収まりが良い。
でも、草太を要石にすると
鈴芽は自分が要石になると言い出す。
だからダイジンは諦めて要石に戻った。
という筋書きで考えると、
ダイジンの見え方がガラッと変わるんですよね。
サイコキャラ(1回目は結構そう見えてた)から
少し可哀そうな、不憫なキャラだなとか。
映画を2回観ないと
ダイジン・サダイジンのイメージって
悪いままだったんじゃないかと思います。
その他、感じたこととしては、
- 東京へ向かう草太(椅子)と鈴芽の掛け合いがめっちゃ好き
- 帰りの新幹線でも鈴芽が寝ていてまた富士山を見逃してる…
など「好きの再認識」や「新たな気付き」があって楽しめました。
流石に映画3回目は無いと思いますが(笑)
2回観ても充分に楽しめる映画でした!!
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